都立八柱霊園前のうめ家石材店です。
今日のタイトルは、某ラジオ番組のリスナー投稿ネタです。
そのなかに
「最後に自分が埋葬したい」という回答がありました。
とても衝撃を受けました。
結婚の理由に、そこまで考える人もいるのだと。
最後まで添い遂げたい、そして相手を看取り見送りたい。
「埋葬したい」ということは、そこにお墓を想定しているということです。

お墓つながりで、ラジオパーソナリティが
「どちらが先に死ぬ。(安心して)死ぬために結婚」とコメント。
その言葉の向こうにはお墓に入れて欲しい気持ちが見えます。
深い…そんな風に考えたこと無かった!
ラジオパーソナリティのお墓エピソード。
余命幾ばくもない、病床の実父から感謝の言葉を受け取り
「よろしく頼むな」と言われた時
〇〇家を継ぐ実感がふつふつとわいたそうです。
お墓に納骨するのは
「魂(たましい)のお家に入る」感じ。
私自身も、母からの最後の言葉は合掌しながら
「ありがとう」だったことを思い出しました。
私的には、お墓と仏壇は「この世とあの世をつなぐどこでもドア」と考えています。
ちなみに、リスナーからの回答で他にもこんなものが…
「修行です」
!?
そうか、生きていくことは仏教的には
「苦行」という「修行」ですね。
聴いていたラジオ番組はこちら
ラジオアプリのタイムフリーで聴くことができます。
たまには二人の写真

亡き両親と成人式の写真

そういえば
亡き両親二人が交わした最後の言葉は
「また、仲良く喧嘩しようね」
「何言ってんだ?」
でした(*^^*)
夫婦ってわからない…
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
