ご先祖参り 戦中・戦後・今・これから

都立八柱霊園前のうめ家石材店です。

先日、北海道根室市の親族菩提寺へお参りをしてきました。亡き母は、北方領土で生まれです。母方の祖母から引き継いだ母方の祖父母・曾祖父母・母の兄弟・遠縁親族の供養は毎年我が家のお墓で行っています。仏様がたくさんいるので毎年総合供養です。お盆・彼岸のお参りも欠かしません。

戦死した親族も遺骨は帰ってきませんでしたが、我が家のお墓に祀っています。
もう、この戦死した親族をリアルに知る人はいません。伝え聞く人も僅かです。

かつて、母たちが住んでいた場所は近くて遠い場所となりました。

納沙布岬の先には かすかに水晶島が視えます。

この海の彼方に、望郷の島々があります。

繰り返し母から聴いた島の暮らしは、穏やかで幸せだったそうです。

豊かな海の恵みで暮らしていました。

日本で初めての海底ケーブルが設置されたのも北方領土だそうです。それほど、重要な拠点だった事がうかがい知る事ができます。

海産資源が豊かで昆布からヨウドを作る工場が島々にありました。

しかし、戦争が始まり戦況を怪しんだ祖父は早めに本土(北海道)に引き揚げ函館に拠点を移し塩精製を生業としました。

今回、函館にも数時間滞在しました。

母が子どもの頃、地区合同運動会を開催した五稜郭公園。

かつて軍の要塞があった函館山から観る景色。

母が子どもの頃は、函館山から自宅塩工場が観えたそうです。トウモロコシが畑が一面で大きな建物が少なかったそうです。

空襲の時、祖母はトウモロコシ畑に子ども達を一人ひとり別々に隠したそうです。祖母は建物は狙われると思ったのでしょう。空襲が終わると祖母は歌いながらトウモロコシ畑に迎えにきたそうです。子ども達の名前は呼ばない。祖母の歌声がお迎えの合図。

空襲になると祖父は子ども達の身体にお金をくるんだ手ぬぐいを巻きつけたそうです。

「そんなもの取られてしまう」と祖母は言ったそうですが

「にぎり飯のひとつでもくれるかもしれない、その分生きる事が出来るかもしれない」と信じたそうです。母はお金持ちになったみたいで嬉しかったそうですが。空襲が終わるとお金をくるんだ手ぬぐいは撤収されがっかりだったそうです。

戦争が終わり、街に灯りが戻り

今は人々の穏やかな暮らしがあります。

函館山の地質の説明。流紋岩と安山岩の中間の岩石なのだそうです。グレイっぽい色なのかな?と想像してしまうのは、墓石屋の病気です😁

子ども達にとって根室・函館1泊2日の弾丸ツアーで初めて会う親族、初めての北海道、羽田空港から釧路空港への飛行時間より時間がかかる釧路から根室へほぼ一本道のレンタカー移動、息子の長距離運転、祖母ゆかりの街、日本の東端、戦争の話、北方領土返還の看板、北海道の端から端への移動など盛り沢山でした。

そして息子が一言「北方領土って俺も行けるの?」

「ビザなし交流が出来ればね。」

これは、調べなければいけないことが増えました。亡き母は元島民の団体会員でしたが今はどうなっているのか、問い合わせてみようと思います。

この旅には亡き父母も同行しました。親族宅にも一緒に!親族には笑われましたが😁

旅の宿で根室のお酒と親族からいただいたオヤツをお供えしました。

いのちの積み木®ファシリテーターとして会ったことの無いご先祖様を感じるワークショップを開催していますが、今回の旅を通してより多くの方々にご自身のご先祖様について知ってほしいと思いました。

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました🙏

いのちの積み木®ワークショップの開催はうめ家石材店ホームページからお問い合わせ下さい。

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